徳留浩二(とくどめこうじ)
TOKUDOME KOUJI
行政・福祉コンサルタント
1954年生まれ
鹿児島県鹿屋市出身。
元鹿屋市役所職員(平成28年3月退職)
元鹿屋市医師会職員として地域包括支援センター長(平成31年3月退職)
※民間を4年間経験。イトーヨーカドー(奨学生として入社)
退職前及び退職後、福祉・経済・人材育成など講演活動を行いながら
企業的マネジメントを実践
(民間職歴)
年月日 | 事業所名及び所属 | 備考(マネジメントに関すること) |
昭和48年 4月 | イトーヨーカドー (奨学生として入社) | ○仕事を通して企業の戦略と戦術を学ぶ。 ・経済の仕組み(消費・物流・経営) ・物を売るとはどういうことか ・コスト意識の徹底(在庫管理など) ○マーケティング(利益をもたらす考え方を実践) |
平成28年4月~31年3月 | 鹿屋市医師会 (鹿屋市地域包括支援センター長) | ○企業戦略・戦術と同じように毎年度重点目標と 重点事業を定め効果的で効率的な事業展開に よるサービス向上に努める。 ・三職種による「チームアプローチ」を強化 ・地域におけるネットワークの構築 (周知活動の徹底) センターは、市民の皆さんが安心して暮らせる社会を築く橋渡しを担いますことから、 「福祉の心」=「幸せ」を大切に取り組む。 |
(行政職歴)
年月日 | 事業所名及び所属 | 備 考(マネジメントに関すること) |
昭和53年4月~ 55年3月 | 鹿屋市役所に入所 ・都市計画課等 |
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昭和55年4月~ 平成元年8月 | 商工水産観光課 (商工担当) | ○物産協会の立ち上げ ○商工会議所に出向して中心市街地活性化 基本計画書を作成。 (鹿屋市3名・商工会議所1名・元信用組合1名) 会議の進め方、調整の仕方併せて大隅経済の実態を把握 ○20歳半ばで商店主や企業代表者との繋がりができた。 沢山の「情報」を頂き、その後の人生に大きな関わりを持った。 「人」との出会いが人生の財産 ○大隅の歴史、観光地など仕事を通して自然に身についた |
平成元年9月 ~7年6月 | 総務課 (人事係長) | ○職場内研修における人材育成の仕組を構築する。 新しい試み ・若手職員を中心に地域の「夢」作成 ・市史編纂リーダー ※JCとの連携(映画際の開催) ※「百聞会」の立ち上げ(異業種交流) ○訴訟関係(民事裁判担当) |
平成7年7月 ~10年3月 平成12年4月 ~17年12月 | 税務課 (課長補佐) 税務課(課長等) | 〇「市税収納高揚4カ年計画」を策定 約3億円の増収 2つの戦術を立て望んだ。 ①責任と反省….収納率低下を責任転換していた(職員自らの責任) ②職場討議による方策の作成(意思決定手続き) ○地域の経済実態を把握。(空洞化の要因等) |
平成10年4月 ~12年3月 | 商工観光課 | ○中心市街地の活性化事業に取り組む ・空き店舗対策事業 ・TMO基本計画を作成(商業活性化) 「情報」…人の「情」(なさ)けに「報」(むく)いるを実感 |
平成18年1月 ~20年3月 20年4月~22年 3月 | 行革経営改革課 (課長) 行財政改革 推進本部 (部長) | 行革はマネジメント (ピータードラッカーの本を参考にする) ○意志決定を行革の屋台骨 ・月二回の総括会議…全職員への伝達を重視 「決断の場」 「調整の場」「向上の場」 ○現場主義の情報収集 ・課題や問題点を把握 (意志決定では情報不足が運命) ○職員の体質改善(行政は人なり) ・短期業務のスケジュール ○批判の的 「鹿屋市に住んで良かったと思えるような」 まちづくり改革に取り組んだ。 民間とは異なって「競争」「解雇」「倒産」がない行政組織の 改革は、たやすいことではなかった。 ※「百聞会」を休止していたので再度「多聞会」を立ち上げる。 |
平成22年4月~ 23年3月 | 市民環境部 (部長) | ○共生協働で進めるまちづくり制度を制定。 地域力の向上(自治会、市民活動団体との連携による まちづくり) ○地域コミュニティの設置…地域基盤の強化・育成 ・プラットホーム(近隣自治組織) |
平成23年4月~ 27年3月 | 保健福祉部 (部長) | ○最終章(退職まで4年間)に入りこれまでの経験で 習得した知識を活かして、更にきめ細かに、そして大胆に、福祉政策事業にチャレンジ。 ・現場主義を重視した課題整理行う ・地域包括ケアシステムの構築に向けて取り組みを開始 |
平成27年4月~ 28年3月 | 市役所再任用 (地域包括ケア推進室長) | ○鹿屋市地域包括支援センターの設置準備 ・就業規則・要綱・規程及び相談マニュアル等40以上規程、マニュアルを制定 ※企業を立ち上げる時の大変さを経験 |